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大阪高等裁判所 平成10年(ネ)2794号 判決 1999年5月18日

控訴人(一審本訴被告・反訴原告) Y

右訴訟代理人弁護士 松原倉敏

同 萩原直子

被控訴人(一審本訴原告・反訴被告) 大阪商工信用金庫

右代表者代表理事 A

右訴訟代理人弁護士 山田昌昭

同 中祖博司

主文

一  原判決主文第一、二項を次のとおり変更する。

1  控訴人は、被控訴人に対し、一二九万三九八七円及び

(一)  内七四万六〇〇〇円に対する平成八年一一月六日から

(二)  内五四万七九八七円に対する平成九年七月二六日から

各完済まで年一八・二五%の割合による金員を支払え。

2  被控訴人のその余の本訴請求を棄却する。

3  控訴人の反訴請求を棄却する。

二  訴訟費用は第一・二審を通じてこれを一〇分し、その一を被控訴人の、その余を控訴人の各負担とする。

事実及び理由

第一  控訴の趣旨

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人の本訴請求を棄却する。

三  被控訴人は、控訴人に対し、五一八万六〇一三円及びこれに対する平成九年一二月四日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

四  訴訟費用は第一・二審とも原告の負担とする。

第二  事案の概要

(以下、控訴人を「被告Y」・被控訴人を「原告」・原審相被告真企技研工業株式会社を「真企技研」と略称する。)

本件は、原告が被告Yに、約束手形買戻代金の保証債務の履行を求めた(本訴)のに対し、右保証債務履行請求権を被保全債権として原告が被告Y所有マンションに対し仮差押を申し立てたこと等が違法であるとして、被告Yが原告に対し、不法行為に基づく損害賠償を求めた(反訴)事案である。

一  「前提事実」「争点」「争点についての当事者の主張」は、次に付加する他は、原判決六頁七行目から同一八頁八行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。

二  当審補充主張

【被告Yの主張】

1 被告Yは、原告との十数年の取引を通じて、原告を金融のアドバイザーであり頼りになるコンサルタントと深く信頼していたもので、私財を処分してでも原告には迷惑を掛けられないと考えて、本件マンションが売れるまで待ってほしいと懇願していた。

そして、原告の担当者Bに対し、債務の全容・弁済原資の入手方法・弁済計画等をすべて詳細に説明するという合理的な方法で、原告に債務弁済計画を知らしめているのであって、被告Yは原告が右債務弁済計画を了承したものと認識していたのである。仮に原告が右計画を了承していなかったとしても、原告の了承が得られたと被告Yが認識したことに過失はない。

このような状況に遭遇したとき、公の金融機関としては、自己の債権を回収する際、相手方の被ることのあるべき損害を最小限度に止めるよう最善の努力と良識と冷静な判断が要求されるといわねばならず、仮差押の法的手段以外に他に債権回収の方法がなかった場合に限って仮差押の必要性が是認されるというべきである。

2 本件についてこれをみるに、原告の被告Yに対する債権額が比較的少額であること、被告Yは原告を頼りにして深く信頼していたこと、相互信頼関係のもとに十数年にわたり事故なく取引を継続してきたこと、仮差押により売買契約成立が阻害されれば、原告の債権額以上の損害を被告Yが被ることは充分予見し得たこと等一切の事情を斟酌すれば、僅か六〇万円の被担保債権の保全のために二二八〇万円相当の本件マンションを売却寸前に仮差押までする必要はなく、むしろ売買契約を成立させて売買代金の中から債権を回収することは極めて容易なことであったから、公の金融機関としてはそうすべきであったのに、安易に本件仮差押をなし、被告Yに損害を与えたのは不法行為を構成するといわなければならない。

【原告の主張】

1 原告の担当者Bが被告Yから説明を受けたのは、本件マンションを売却して債務を弁済するという一般的な話だけであり、具体的な弁済計画についての説明は受けていない。具体的な弁済計画を説明したとの主張は当審において初めて提出されたものである。

2 本件仮差押当時、被告Yの資産は本件マンションしかなかったにもかかわらず、被告Yからは原告の債務の一部は支払えないと明言されていたことや、本件マンション自体リフォームも完了していつ売却されるか判らず、現に売却手続を進めていた状況にあったこと等の事情からすると、原告の債権を確保するために唯一の資産を仮差押したことはなんら違法ではない。

第三  当裁判所の判断

一  争点1について

1  前記前提となる事実に<証拠省略>及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実を認めることができる。

(一) 真企技研は、各種鋼製棚の製造販売等を業とする会社であって、第一六期(平成七年六月一日から平成八年五月三一日)の売上高は三八〇三万九九〇九円であり、シンキがその主な販売先であった。

(二) シンキは、平成八年一〇月五日、倒産した。原告は、右当時、真企技研の依頼によって割り引いたシンキ振出しの約束手形五通(額面合計三〇一万九二五三円)を所持していたところ、同日、そのうちの一通(額面三七万五〇〇〇円)が不渡りとなった。

(三) 原告と真企技研の間で締結されていた信用金庫取引約定によると、真企技研が割引を受けた手形の主債務者が期日に支払わなかったときは、真企技研は、その者が主債務者となっている手形を額面金額で買い戻す義務を負い、直ちに代金を支払う旨約定されていたので、真企技研は、本件手形を含む右五通の手形の買戻債務を、被告Yはその保証債務を負うことになった。

(四) 真企技研は、シンキ振出しの手形を原告で割り引くほか、仕入先等に裏書交付しており、シンキ振出しの手形が不渡りとなることによって、これらの手形の買戻等のため合計約二千二、三百万円を必要とするに至り、買掛金債務を含めると、シンキの手形が不渡りとなった後の真企技研の債務額は約二千七、八百万円であった。

(五) そこで、被告Yは、同年一〇月八日頃、真企技研を訪ねて来た原告西支店の担当者Bに不渡りとなった手形の一覧表を示し、「真企技研の債務総額は二千数百万円にのぼるが、取引先に対しては長年の信用があるので約一〇〇〇万円もあれば一応の解決は図れるから、そんなに騒ぐ必要はない。ただ、連鎖倒産を起こす会社が一社あるのでその債務約三〇〇万円は至急金策の要がある。」等と説明し、その資金を捻出するためにも本件マンションを売却して急場をしのぎ、併せて他の債務も返済する予定である旨を伝えた(乙九)。

本件マンションは、当時、被告Yの唯一の資産であり、真企技研の事務所兼同社従業員の宿舎でもあったことから、その売却には同従業員の立退きが前提であり、右立退きにも相当の費用が見込まれた。また、売却を有利に進めるために行う建物の改装工事にも相当の費用が見込まれた(乙三、九)。

そして、真企技研は、同年一〇月一四日、原告に対する定期預金を解約して、同月五日が支払期日であった約束手形一通(額面三七万五〇〇〇円)を買い戻した(<証拠省略>)。

(六) 被告Yは、本件マンションの売却期限を改装工事期間をも入れて同年一一月二〇日頃と見込み、仕入先の債権者には返済計画を伝えて同日までの債務返済の猶予を求め、おおむね了承を得た(乙九)。

そこで、被告Yは、本件マンションの売却の仲介を常陽不動産株式会社に委託した。右売却価格は二四八〇万円というのが被告Yの希望であった(乙四、五、一八)。

同年一〇月末頃、原告西支店の支店長Cは、被告Yを訪ね、残る不渡り手形の買戻しを求めたが、被告Yが今資金がないとして本件マンションを売却するまで猶予を求めたので、それ以上具体的な返済の目処等につき協議はしなかった(乙九)。

そして、被告Yは、同年一一月上旬中に真企技研の事務所の移転、従業員の転宅、さらには改装工事をも済ませた(右工事費用は約二一五万円であった。)(乙三、九)。

(七) 同年一一月七日、C支店長は、再度被告Yを訪ね、前記不渡り手形の買戻しを求めたところ、被告Yはそれを単なる嫌がらせと受け取り、本件マンションが売却できるまでは払えないと断ったことから口論となり、互いに言い募った挙げ句、喧嘩別れとなった(乙九)。

原告は、翌八日、手形買戻代金六〇万円についての保証債務履行請求権を請求債権として、大阪簡易裁判所に本件マンションに対する仮差押を申し立て、同日、その仮差押決定を得た(以下これを「本件仮差押」という。)。同月一一日、本件マンションに右仮差押登記がなされた。当時、本件マンションは抵当権等の負担のない不動産であった(乙一、二)。

一方、被告Yは、C支店長の前任者に取りなしを頼んでいたが、その効もないうち、同日、原告から一四日以内に手形買戻しの履行を求める旨の内容証明郵便の送付を受けた(乙九)。

(八) 被告Yは、同年一一月一二日、本件仮差押登記がされていることを知らないまま、本件マンションの買主側の仲介業者であった住友不動産販売株式会社(以下「住友不動産」という。)との間で、本件マンションを代金二二八〇万円で売却することを了承し、同月一七日正式契約を結ぶことで合意した(乙七の一・二、九、一八)。

ところが、右正式契約に先立ち、住友不動産が登記簿を調べた結果、本件仮差押登記のあることが判明した。住友不動産は、早速原告のC支店長に本件仮差押登記の経緯につき説明を求めたが、C支店長は、被告Yが同席しなければ説明はできないとして、被告Yの債務内容等の詳細な説明はしなかった。そのため、住友不動産は、右合意を撤回し、二二八〇万円で本件マンションを売却する件は不成立に終わった(乙九)。

(九) そこで、被告Yは、急遽他の買主を探した結果、同年一一月二一日、本件マンションを新買主Dに代金一五六〇万円(契約書上は一九八〇万円)で売却した。右売買においては、本件仮差押登記を被告Yの責任で抹消することが条件であったので、被告Yは、同日、仮差押解放金六〇万円を供託して、大阪簡易裁判所から本件仮差押の執行取消しを受け、同日付けで買主に所有権移転登記を経由した(乙八、一九)。

(一〇) 本件仮差押当時、真企技研及び被告Yが原告に対し手形買戻義務を負っていた割引手形は五通であった。そのうち三通は原判決別紙手形目録記載の手形であり、本件仮差押の請求債権は額面が最も少額のものであった。

なお、真企技研及び被告Yは、昭和六一年四月に原告と信用金庫取引を開始して以来、原告に対し手形割引を依頼する形で経営資金の調達を図っていたが、割引手形の決済や手形買戻の履行等に関して本件に至るまでは遅滞に陥ったことはなかった(乙九、二〇、弁論の全趣旨)。

2  債権者が債務者に対する債権を保全するため債務者の不動産を仮差押することは権利の行使として一般には適法な行為であるが、権利の行使といえどもそれがすべて是認されるものではなく、社会的に相当とされる方法・態様を超えて行われ債務者に必要以上の損害を被らせたときには、例外的に違法と評価され不法行為を構成する場合があるといわなければならない。

債務者が債務過重に陥り債務の即時返済が困難となったときは、否認権や詐害行為取消権の制度の存在から窺われるように、とりわけ債権者間の平等な満足を図るべきことが強く要請されるのであって、債権者といえども自己の債権の満足を図るのみでなく、他の債権者の地位にも配慮した措置をとることが要請されるというべきである。

とくに、原告は、信用金庫法に基き設立された信用金庫で、信用金庫の地区内の個人又は事業者を会員として組織する共同組織(信用金庫法一条・一〇条)であって、公共性を有する金融業務を担い、国民大衆のために金融の円滑を図って預金者等の保護に資することを目的として運用されるべき法人(同法一条・二条)であるから、債権の回収のみを業とするものではなく、融資によって会員の経済的な安定を援助することも重要な業務であるのはもとより、経済的な更生を図ろうとする会員に対してはその利益を害することのないよう配慮すべきこともまた社会的な要請であるというべきである。

そして、真企技研及び被告Yは、原告と昭和六一年四月に信用金庫取引を開始して以来、債務の履行につき問題を生じたことはなく、本件において、真企技研及び被告Yが原告に対し手形買戻義務を負担するに至った原因は、割引手形の振出人である他企業が倒産した結果であって、真企技研自体の手形不渡りではなかったこと、真企技研及び被告Yとしては、右倒産のあおりを受けて即時に支払うべき多額の債務を履行するには、唯一の資産である本件マンションを売却して返済原資を調達する以外に方策がなく、そのため、被告Yは、各債権者との間で債務の返済額・返済時期・返済方法等について協議をし、原告以外の債権者との間では本件マンションを売却するまでの間は債務の返済を事実上猶予することでほぼ了解を得ていたものと窺われること、被告Yは、原告に対しても、取引のあった西支店担当者に右の状況を説明し、返済すべき債務の内容・総額の他、本件マンションを売却して返済に充てる予定であることを伝えていたこと、原告西支店の支店長も、直接被告Yを訪ね、同被告から同旨の説明を受けて返済の猶予を求められ、かつ、売却のために本件マンションの改装工事が行われていることを現認していたことは前記のとおりである。

このような原告の金融機関としての公共的性格や従来の真企技研及び被告Yとの取引状況に鑑み、とりわけ本件手形買戻義務の発生が真企技研や被告Yの業績悪化から直接生じたものではなかったにもかかわらず、被告Yが債務返済の方策として当時最善と考えられた本件マンションの売却によって出来るだけ多くの債務を返済する努力をしていたこと、原告以外の債権者は右売却を了承して債務の返済を事実上猶予していたこと等の事情に照らすと、原告としても、真企技研及び被告Yから本件マンションの売却による債務返済について協力依頼を受けたときは、右売却によっては返済原資がかえって減少する等、返済方法として相当でないと考えるべき格別の事情のない限り、右債務返済の方策の実施を妨げないよう配慮すべき義務があると解するのが相当である。

しかるに、原告西支店の支店長Cは、同支店の担当者から事前に被告Yの本件マンションの売却計画につき報告を受けていたはずであるのに、被告Yとの直接面談の際には、同被告から右売却を理由に返済の事実上の猶予を求められたにもかかわらず、単に返済の履行を求めるのみで、それ以上右売却後の具体的な返済計画の内容を確かめようともしないまま右猶予の要請を拒否し、再度の面談の際にも同様でかえって口論となるなど冷静な対応を欠き、結局、喧嘩別れとなった翌日、直ちに被告Yに対し本件仮差押の手続をとったこと、そして、本件仮差押決定を受けた後に、改めて被告Yに内容証明郵便で債務の履行を求めたことは前記認定のとおりである。

金融機関が債権回収のために行う手順としては、債務者に内容証明郵便を送付した後なお履行がない場合に仮差押等の手続をとるのが通常であって、本件における原告の措置はそれと比較しても異例であったということができる。

右のような支店長Cの対応及び原告の措置は、被告Yが債務返済のために最善の方策としてとった本件マンションの売却という手段の実現を妨げるもので、右売却が返済方法として相当でないと考えるべき格別の事情は認められない本件においては、むしろ、感情的な報復措置と疑われてもやむを得ず、本件仮差押は原告が被告Yに対して配慮すべき前記義務に著しく違反したもので、社会的に相当とされる方法・態様を超えて債務者に必要以上の損害を被らせたものとして、不法行為を構成するというべきである。

原告は、本件仮差押は唯一の資産を売却しようとする被告Yに対する債権確保の手段であったと主張し、原審証人Cはそれに沿う証言をするが、そのことのみで本件仮差押が不法行為を構成しない根拠とすることはできない。

3  被告Yは、本件マンションの売却を仲介業者に委託し、本件仮差押登記がなされる以前に、買主側仲介業者との間で代金二二八〇万円で売り渡す旨の合意が成立していたこと、しかるに、本件仮差押登記がなされた結果、右売買の合意は不成立に終わり、急遽別の買主との間で代金一五六〇万円で本件マンションを売却せざるを得なくなったことは前記のとおりである。

従って、被告Yは、本件仮差押により右売買代金の差額七二〇万円の損害を被ったものと認められる。

原告は、金融業務に従事するものとして、売買の目的不動産に仮差押がなされれば売買契約の成立の妨げとなりうることは通常予見できる事柄であるから、被告Yに対し右損害の賠償責任を負うものといわなければならない。

4  一方、被告Yも、前記1(五)ないし(七)で認定した事実にみられるように、原告の支店長Cに対し、本件マンションを売却した後の返済計画の内容を自ら具体的に説明しようとはせず、かえって、他の債権者が長年の取引上の信用から債務返済を猶予してくれたことに安住し、原告も同様に返済を猶予するのが当然であるかのような態度を採っていたことが窺われるのであって、それが同支店長の対応を硬化させたとも推測されるから、真企技研及び被告Yが基本的には原告との信用金庫取引において手形買戻義務を負担する債務者であることなど本件に現われた諸般の事情を考慮すると、前記損害をすべて原告に負担させるのは相当ではなく、民法七二二条二項を類推適用して、右損害のうち一割の限度で原告に責任を認めるのが相当である。

従って、原告は被告Yに対し、不法行為による損害賠償として七二万円の支払義務があるというべきである。

5  被告Yが、平成九年一二月八日の原審第二回口頭弁論期日において右損害賠償請求権と原告の本訴請求債権のうち一四一万三九八七円とを対当額で相殺する旨の意思表示をしたことは当裁判所に顕著である。

そうすると、原告の本訴請求債権は七二万円の限度で右相殺によって消滅したこととなり、これを弁済期の早い本件手形一と同二の買戻債務から按分減額すると、残る本訴請求債権は、本件手形一及び同二の残額合計七四万六〇〇〇円と本件手形三の残元本五四万七九八七円の計一二九万三九八七円及び内七四万六〇〇〇円に対する平成八年一一月六日(原告の請求する支払期日の翌日)から、内五四万七九八七円に対する平成九年七月二六日(原告の請求する日)から、各完済まで約定の年一八・二五%の割合による遅延損害金となる。

従って、右相殺に供した額以上の損害賠償を求める被告Yの反訴請求は理由がない。

二  争点2について

原判決二四頁一〇行目から同二五頁二行目までに記載のとおりであるから、これを引用する。

第四  以上の次第で、これと異なる原判決は一部不当であるから、原判決主文第一、二項を本判決主文第一項のとおり変更することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小林茂雄 裁判官 小原卓雄 山田陽三)

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